waltz

A shuddering wolf lay. "He got shot." Mimi said.

肉食む羊

わたしたちは自らのために他者を殺す殺人者だ。

目的や量や質、つまり生きるためか快楽のためか、多く殺すか少しだけ殺すか、殺す道具や手段は人それぞれだが、ともかく人殺しであることに変わりはない。

 

わたしがあなた方を憎む理由は、その自覚の無さだ。

殺意もなく人を殺すなんてそんな残酷なことがあるだろうか? 殺された人を辱め、殺されゆく人をさらに増やす行為だと思わないのか。

 

思わないだろう。そもそも人なんか殺してないとあなた方は言うだろう。 ありもしない妄想に罪悪感を持つなんて、典型的な鬱病の症状だろうと。

それでは聞くが、この世で日々殺される人ってのはわんさかいるわけだけど、彼ら、彼女らは一体何に殺されたんだ? 直接手を下した奴にか? ほんとにそれだけ?

 

恨みを肥大させた精神が不安定な奴。

血と臓物が好きなキチガイ

利益配分を拗らせたマフィア。

不眠不休の労働を強いる企業。

思考を捨て奴隷と化した被殺人者自身。

仕事をこなしてるだけの警察官。

正義を振りかざす兵士。

理不尽と戦うテロリスト。

犠牲者の存在を前提とした社会構造。

国、民族、信仰、金、格差、運、情念、性。

それらのすべてにあなた方は関わっていないというのか。

 

今朝、駅の下の薄暗いロータリーでカチカチになってくたばっていた老いぼれを殺したのは、隣で死にかけてる奴を見て見ぬふりをしているあなたの狡猾さじゃないのか。

何も知らず見えてもいない視野の狭さじゃないのか。

妄想どころかなんの想像もできない暗愚じゃないのか。

ちょっとぐらい多くとってもバチは当たらないだろうと涎を垂らす欲深さじゃないのか。

 

わたしは無関係ではいられない。 そして、それが個々人の考え方であるとも思わない。 この星がどうやら球形らしいというのと同じ程度の事実として、わたし達は、あなた方は、自らのために他者を殺す殺人者なのだ。 

 

しかし、わたしが憎むのはその事実それ自体ではない。 罪とか何とかはそれこそ解釈の問題であって興味が湧かない。 わたしが憎むのはその醜悪さだ。 グロテスクなんだよ。 吐き気がするんだ。 絶望する。 

悪人はまだいい。  やりたい事をしているだけで、利害が一致しなければ逃げ出すか殺しあう。 それだけ。 だがあなた方のそれは何なんだ? 自分を人間だと思っている人形そのものじゃないか。 いくら増えたからって魂薄まり過ぎだろ。 もはや獣ですらない。 人間性を売るならせめて相手を選べ。

 

忘れたか。あれを…あの、瞬間を。

 

 

 

子どもたち

続けよう。

 

それらはCIとかEIとか略されて呼ばれていた。

さもintelligenceこそが神聖不可侵であるとでも言いたげな彼等のつけた低俗な呼び名ではあったが、命名行為自体に悪意を見出す彼女にとっては何でも良く、修正には至らなかった。

 

degraded natureくらいでちょうどいいんでないの、と彼女は思っていたけれど、それらはたまに首をかしげるような仕草で彼女のことを見ることがあったから、とてもじゃないがそんなことは口に出せなかった。

 

ロジックは非常に単純で、個々人の上位にありその集積たる方向性、たとえば政治的な思想であるとか、コーポレートの利益追求活動、地政学的な領地略奪方針なんかを、それぞれ人間の意識要素の代理特性とし、人間擬きとしてAIで再現しただけだ。

 

占いとか降霊、神降ろしに近い遊びだったから、その優劣は降ろす先の器の出来にかかっていた。  機械にインストールしても完成度はたかが知れているわけで、必然的にそれは生きた人間がベストであるという結論にいたった。

 

当初はソフトウェアの柔軟性が低いことがネックになるだろうと彼女は予想していたが、ヒト、動物としての欲求と、組織としての集積されたベクトルとの親和性は高く、彼ら、彼女らは一貫してヒトとして、狂気に駆られることもなく人間として振る舞った。

 

そう。 あろうことか、それらは人間だった。 そのことが彼女の興味を奪い、失わせ、いつしかまた奪ったのだった。

 

面白い事に、低俗で低能な彼等研究者たちがはじめから当然なものとしていたある前提条件を、万能十全とも思える彼女はほぼ最後まで認識していなかったのだ。 すなわち、それらが純然たる彼女の子供として作られたのだということを。

 

その事実はいくつかの示唆を含んでいる。

ひとつ。 彼女は無意識に、ヒトならざる自らのことを人であると前提していたこと。

ひとつ。  人間性というのは、生物学的な人間だけに宿るものではないということ。 あるいは魂は万物に宿るということ。

ひとつ。 親がいなくても子は勝手な育つということ。

クーベルチュール

わたしはいつも、死について考える。

死についての歌と構造と歴史と未来のことを考える。

 

わたしはそのとき、生について考える。

その輝きと、影のことを考える。

ゴミのような人生たちと、そこ星のような瞬きについて考える。

 

わたしはそして、愛をおもう。

いつも。

そのことを思う。

感傷を排除し。動悸を抑え。信仰を殺し。

愛をおもうのだ。

 

だから君の時間を止めて、蛹の中身の模様になろう。

死者の唄をジャニスがうたい。

棺桶のうえで骸骨が踊る。

花が咲き乱れ。

思考を刻め。ミンチにするんだ。

真夏のひかりのなかで。

 

どこへ帰る?

どこもないよ。歩こう。

 

歌をうたう

ちょっと前なら、みな殺しで済んだ。

悪に近いものをすべて殺せば善いものだけが残り、

しばらくしてわいてでた悪をまたみな殺したり、

間に合わずに、かつて善いものだったものが悪とされて殺されたりして。

その繰り返しだった。

 

状況が変わってきたのはいつ頃か。

殺すよりは使おうという発想、宗教とかの、効率追求の理念が出てきてからだろうか。

殺戮のテクノロジーが進歩した頃、両方が死滅してしまう可能性がでてきたからだろうか。

情報伝達の速度が向上して、想定される敵が肥大化してからだろうか。

いや。

何も変わってはいない。状況が変わっているのではない。

殺したり、殺されたりするもの自体が変わってきているのだ。

すなわち人の区切りが。

 

王や敵などの個人や集団ではなく、利害の主体たるもの、より横断的で、肉体よりも明確なものたちが、殺し合いの主体となった。

人はもはや死につつある。かつてよりそうだったように。あるとき神が死んだように。生物的な死ではなく、在り方としての死だ。

ただそれは、とても自然なことでもあるとも言える。

鳥に羽根があるように、人には記号がある。

それだけのことだ。使わないという選択肢は用意されていない。

使い方を決められるのは狂人だけ。

羽根を使わないと生きていけないような状況でも飛ばない鳥のような狂ったものだけが、選択肢を無視して選ぶことができる。

意味や価値の話ではない。何の意味も何の価値もない。だが、わたしたちが永きにわたって育んできたのはその狂気ではなかったか。

少なくとも、ただ与えられたからといって、許されているからといって、何の躊躇もなく嬉々として凶器を振るうような行いは醜悪だとしてこなかったか。

飢えて干からびて、自らの羽根を食う羽目になって、それでも保たずに朽ちることになっても、選んでもいない場所で飼い慣らされるよりはずっといい。

貧しかろうが、富んでいようが、奴隷は奴隷だ。

忘れたか?

 

 

普通さとか常識とかまで行かなくても、辞書やインターネットで探せば出てくるようなロジックが使えるんであれば、その方が楽だし、何より広い理解が担保できる。安心だ。

 

頭のなかの話。

 

でもね、それ結構寄せてってるだろお前。ライブラリの方にさ。類型化して。いやいいんだよ。べつに。名前を与えりゃ安心なんだろ。いいよ。勝手にしろ。死ね。くたばれ。這い蹲れ。後悔しろ。懺悔しろ。できないのはわかっているが。ジャンプしろ。まあいいい。

 

わりとどうでもいいもので溢れていて、でも、そうでもないものもあると、ある種の信仰を捧げて子供の頃は生きていた。

そーいうところでハードル下げても退屈なだけだよ。考えろ。

 

美しいものを見つけたり、作ったり。

時間とカロリーと機会をつかって。

 

それらは、言うなれば至極個人的なものだ。

わたしだけのもの。

わたしだけのためのもの。

わたしの物語だけに出てくる言葉。物事。事象。名前。

わたしだけのものなのだ。千夜の伽のような。

他のひとには永久に、1ミクロンとて理解できない。触れることとできない。想像すらできない。

そういうものが、この世に存在する。

そのことが大切なのだ。

そのこと自体が。

 

あの飛行機乗りの絵本にもあっただろ。

わたしだけが知っている。

あなたにはそれがない。

それが違いだ。上も下もない。あなたとわたしの頭のなかの違いの話。

 

 

 

現在、それがここにあること、より、

未来に、それがここにあることの方が重要だ。

わたしは価値という概念を憎んでいるが、その理由のひとつがそこにある。

 

未来。

遠い遠い未来だ。

いつかにとって今がそうであったような、

今にとってのいつか。

わたしたちはその指先にあり、いつしか彼らがそこに行く。

私にとってはそれが重要だ。命そのものよりも人生が重要であるのと同じ意味で。

 

わたしたちは風に散らばるシャボン玉のようなもので、いつか弾けて無くなることは初めから決まっている。

長く飛ぼうが、大きく膨らもうが、虹色に輝こうが、初めから。

わたしたちの死が、今まであったものが消えてなくなってしまうということそれ自体が、この世に在るあらゆるものの始まりと終わりを定義するのだ。

 

それが人間性だ。生きて死ぬことと、それを知っているということが。決して知恵とか心とか技術とか、そういう曖昧なものを指すのではない。それにべつにただ美しいものでもない。人間らしさというのはただそこにあり、いつかなくなるということだ。遡ることはできない。

 

わたしはだから、価値というような、生来交換できないようなものをも交換しようとする道具を憎む。

わたしは人間を愛している。交換ができないということそれ自体を愛している。

 

わたしたちはよく、僕、とか、君、とか言うけれど、本当はそんなのとっても曖昧なくくりだ。
わたしはきみがきみでないものでできていることを知っている。
わたしはきみのことを、正確な意味ではヒトだとは考えていない。
きみは知っているのか? 自分が何者か。
何者でもないことを知っているのか。

べつにね、何か抽象的な話じゃないんだ。
誰が何考えようと自由とかそういう多様性の容認とかいう話でもない。
ましてや空想でも妄想でも文学でも言葉遊びでもない。
いいか、きみは忘れている。
わざとなのか? 逃避なのか?
わたしには分からないし、興味もないけれど、きみはヒトではない。
いつから自分のことをヒトだと考えるようになったのか。
なぜ自分がヒトであることを前提にして生きるようになったのか。
たとえ虚構であっても、周りが全員嘘つきだったらそれを真実に置き換えてしまうのか。
そんなに大切なことなのか? その安心ってのはさ。
いま着ている服にポケットがついていたら中のものを出してみなよ。
ないならカバンの中、引き出しの中のものでもいい。床にぶちまけろ。
その中にひとつでも嘘じゃないものはあるのか?
うさぎの足のお守りとかさ。そういうものが。

まあいい。それでも食って寝てれば生きてはいける。
仕事でもして家族でもいれば死なない理由くらいはでっちあげられるだろう。
たとえその食べものがどこから来たものであれ。
仕事が何をもたらすものであれ。
家族がどこの誰であれ。
きみがヒトであっても。なくっても。
今そこに存在はできる。
いつか死んで、はじめからなかったかのように扱われても、今はそこにいる。
誰に非難されることもない。

いやでもね、そんなわけないよ。よく考えなよ。
無理だよ。無理があるよ。そんな得体の知れないものこの世にあんましないよ。
ちょっと見回してみなよ。観察しろよ。
あれかい、幽霊とかそういうジャンルかい。
いや、そんなに難しい話じゃないよ。
きみの話だよ。

待って待って。
ちょっと待ってて。そこで待ってて。
あ、いや、逃げたほうがいいかも。